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2005年7月25日 (月)

帰郷 ~祖母の旅立ち~

「兄ちゃん、ばあちゃんが死んだよ…」 弟から電話をもらったのは20日の夜午後10時頃だった。私の祖母、平野チドリが他界した。享年、92歳だった。

次の日、私は午後一番の飛行機で故郷である宮崎県の高鍋町へ戻った。既に祖母の亡骸は教会のお御堂に移されていて(我が家は全員カトリック信者)、老いた両親と弟夫婦が、訃報を聞いて駆けつけてくれた弔問客の対応に追われていた。高齢者の葬儀は故人の友人、知人が既にこの世から去っている場合が多いので必然的に寂しいものになりがちだが、祖母の場合は教会信者や、私の母とつきあいのある方、また、祖母の本家が長生きの家系のせいか存命だった兄弟、親戚も来て下さったので、あまり寂しいものにならなかったようだ。

意外だったのは、それほど両親や弟夫婦が沈んでいなかったことだ。理由としては、急なことだったので皆の”気が張っていた”こと、入退院は繰り返していたが祖母の92歳という年齢の死はある意味”大往生”だったこと、そしてキリスト教における死は”神の御許へ永遠の魂を授かる為の旅立ち”という意味があること…等が彼等に前向きな考えを与えたのだろう。「落ち込んでいると、ばあちゃんがかえって気にするかもしれないし、それに天国へ旅立つ日でもあるので逆に明るく送ってあげようネと、皆で話したんですよ」――と、弟の嫁さんが言った。それより皆は”ばあちゃん子”だった私の方が沈んでいないか心配していたようだ。

1日目の通夜。私は教会に泊まった。ここは私が赤ん坊の頃からお世話になった教会だったが流石に泊まるのは初めてだった。しかも、まさかこのような形で泊まるとは夢にも思わなかった。教会の中には私が幼い頃からあったイエス・キリストやマリアの像がそのまま残っていた。幼い頃の私にとってそれらの像は尊く威厳のある”神そのもの”だったが、今はシンと静まり返った深夜のお御堂の中で祖母の亡骸を見守ってくれる”やさしい目をした神様の像”だった。誰もいなくなった御堂の中で祖母の亡骸の入った棺を前に一人たたずむ私は、気が変になったと思われるかもしれないが”祖母の幽霊が出てくれないか”と真剣に願った。死に目に会えなかったのでせめて最後のお別れの話ができればと思ったからだ。当然ながら既に神の御許へ旅立った祖母の幽霊は出るはずも無く、遺影の顔が微笑んでいただけだった。

「タカシちゃん。なんで、もうちょっと早く帰ってきてくれんかったかねぇ… バアちゃんは寂びしかったよ…」と遺影の祖母が言ったような気がした。

2日目は葬儀ミサと告別式だった。ハプニングが起こった。ミサが始まると当時にお御堂のクーラーが突然壊れたのだ。始めた時間が午後一時だったこともあり、当然ながら、お御堂の中の温度はいっきに上昇し喪服を着た弔問客は汗びっしょり。故障の原因がわからないまま葬儀は開始された。喪服より厚着をした神父様やシスターが何事も無かったかのように冷静だったのは修行の成せる技なのだろうか。老齢の男性が「昔はみんな、こんなだったんだ。クーラーなんかなかった。気にすんな」と皆に聞こえるように独り言を言った。戦中派の人は逞しく優しい。風を呼び込むために御堂の窓を全開にすると、真夏の熱い空気と蝉の大合唱がいっきに流れこんできた。そして時より流れこんでくる風が汗を蒸発させ、とても涼しく感じさせた。夏の風がこんなに涼しく感じられたのは何十年ぶりだろう…。母が主催しているコーラス隊が来てくれて”主よ御許に近づかん”を唄ってくれた。すばらしい歌声だった。その歌声はたぶん窓から外へ流れ、きっと近所の人を驚かせたことだろう。

告別式が無事終わった。急なハプニングで汗びっしょりになりながらも最後までつきあって下さった参列者の皆さんには感謝の言葉もなかった。その後、少ない身内だけで火葬場へ向かった。祖母との最後の別れを交わした後、いよいよ火葬となる。火葬のボタンは親族が押すということで私と弟がその役目をになった。もういい歳なのでメソメソできないし、気が張っていたせいもあって、それまで涙ひとつ見せなかった私と弟だったが、ボタンに人差し指をつけ目を見合わせた瞬間、初めてお互いとも目から光るものを流してしまった。「ばあちゃん、さようなら」と小声で言って二人でボタンを押した。煙になった祖母が真夏の青空に消えていった。

その夜、小さな町は”荒神さん”という祭りでにぎわっていた。あちこちで"祭りの音”が聞こえた。両親の住むアパートに戻り、祖母の遺骨を祭壇に飾り、葬儀が終了した。気が緩んだのか皆どっと疲れがでたようだ。食事をすませ、ひといきついていると、一冊のアルバムが目に入った。「ばあちゃんのアルバムだよ」と母が言う。私は生まれて初めて見るアルバムに目を通した。アルバムの最初のページに、どこかで見たことのある若い女学生が写った古びた写真があった。それは祖母が十代の頃に写したという記念写真だった。それには私の祖母ではなく”平野チドリ”というひとりの女性の顔があった。更にページをめくってゆく。働き盛りの若い平野チドリ、私の知らない人々と写っている大人の平野チドリ、娘(私の母)と記念写真をとる母になった平野チドリ、孫(私)を嬉しそうに抱っこしている祖母になりたての平野チドリ、家族総出で遊びに行った時の記念写真に写る祖母が板についてきた平野チドリ、私が上京を決意し田舎を出てしまった頃の寂し気な表情の平野チドリ、嬉しそうにひ孫と一緒に写真にうつる平野チドリ、そして私の仕事が軌道にのりやっと親・祖母孝行をしてあげられたディズニーランド旅行で満面の笑みで写っている平野チドリ……。アルバムをめくる私の横で母が私が今まで一度も聞いたことのない平野チドリの昔の話もしてくれた。正直、驚きの連続だった。アルバムにはまぎれもない一人の女性の人生が刻まれていた。母はディズニーランド旅行の時の記念写真を祖母の遺影に使っていた。一番笑顔が良かったからだそうだ。実はその写真を撮ったのは私だ。まさか、あの時私が撮った写真が遺影に使われるとは夢にも思わなかったので驚いたのと同時に、何故か嬉しさもこみ上げた。

 ”私のばあちゃん”以前に、”平野チドリ”という名で波乱に満ちたその人生を終えた彼女は新たな世界へ旅立って行った。『平野チドリさん、そして、私のばあちゃん! 人生、おつかれさまでした。これからはそちらの世界でゆっくりとお過ごしください。そして、こちらの世界でまだがんばる私たちを暖かく見守ってください』―― そう願いながら、私は祭壇に置かれた遺骨と遺影に手を合わせ、そして故郷を後にした。

不思議なものだ… 葬式の最後まで気丈であろうと涙も流さずがんばった私だったのに、こちらに帰ってきて一段落してこうやって日記をつけていると、いいようのない寂しさがこみ上げてきて涙が止まらなくなった… ふと、24年前、私が上京した時に祖母が米と一緒に送ってくれた炊飯器を押入れから出して眺めた。何故だろう? 祖母の亡骸を見たときより哀しく感じてしまった。これから、祖母の死を実感してゆくのだろうか――

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